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共感は癒し

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那須町でヨガの魅力をお伝えしているラリュールのMayumiです。

新緑が気持ちいい季節になりましたね!

人間社会の活動は制限されても自然界は何事もなく活動を続けています。

新緑の季節というのは、

活動的なエネルギーをたくさん感じられるような気がして元気をもらえます^^

終わりは始まり

例えば梅の木。

梅の花が咲きはじめ、

一時美しく咲いて私たちの目を喜ばせてくれます。

そして、花が終わると梅の木は実をつけはじめます。

花の終わりは実のはじまりです。

例えば川。

山に積もった雪が解け、

岩の隙間や砂の中から湧き出る水が川になり

そして、川の流れの行きつく先は海となります。

川の終わりは池のはじまり、湖のはじまり、海のはじまりです。

蛙はおたまじゃくしの期間が終われば蛙になり、

ニワトリはヒヨコの期間が終わればニワトリになります。

私たち人間も、

学校を卒業したら社会人生活がはじまります。

会社を辞めたらまた違う会社に入ったり起業したり。

誰かとの別れは違う誰かとの出会いだったりします。

「何かが終わる」ということは「新しい何か」のはじまりなのです。

終わりを迎えることに

私たちは必要以上に負の感情を感じているように思います。

誰でも必ず終わりを迎える「何か」があるのですから、

悲しむ・苦しむ以外の『捉え方の選択肢』を増やしていきたいと思うのです。

自然界の法則に習うなら、

そこには現象として終わりがあるだけ。

終わりが悲しみや苦しみにはならないのです。

この時代を選んで生まれてきたとしたら

2020年がスタートして間もなくはじまったコロナウイルス感染症による

世界的な大混乱。

その影響で終わりを迎える何かを経験したり、あるいは新しくはじまる何かを

経験した方もいらっしゃるのではないでしょうか。

何か大きな力が加わったのではないかと思えるほど

ある意味『強制的』に変化を求められているような気さえしてきます。

もしあなたが、この時代を選んで生まれてきたとしたら・・・

そこにはどんな意味付けをするでしょうか?

意味なんてないのかもしれませんが、

意味があるかないかではなく意味があるとしたら?

と考えてみることを面白がってみてください。

時代の転換期であり価値観の再構築が求められる今、

今まで苦しんで生きてきたのだとしたら

その生き方を見つめなおす良いきっかけだったりするかもしれません。

今まで正しいと思い込んでいた価値観、

今まで信じて疑わなかった正義、

ある一方からの、ある一面だけの「ものの見方」を、

何か盲目的に信じていたことを、

見つめなおす良いきっかけだったりするかもしれません。

共感は癒し

という尊敬する方の言葉を思い出しました。

共感し合うことで生まれる安心感。

共感し合うことで認められていると感じられて

自分はここに居ていいんだと思える。

共感し合うことで笑顔になり心が救われることがあるのです。

共感してくれる誰かがいてさえくれれば生きていけるのです。

共感し合うことで人間は癒されていくのです。

自分自身や周りの環境が不安定な時ほど、

「共感」が必要なのだと思います。

否定する。

攻撃する。

揚げ足を取る。

重箱の隅をつつく。

自分の中の正しさを武器にして相手を傷つける。

そんなことをしてしまう方は、

自分で自分を傷つけている可能性があるのでお気をつけくださいね。

自分のことを否定したり認められなかったり嫌いだったりすると、

他人に対しても同じようにすることが当たり前になってしまいます。

そんな風にして自分を守ろうとしているのかもしれませんので、

他人に攻撃的になっている方は

それに気づいてまずは自分に優しくしてあげてください。

不安や恐れや恐怖からの選択をやめる

楽しいことや嬉しいことを考える。

心が明るくなるものを選ぶ。

心地よさや気持ちよさを感じる。

思考をシンプルにしてみると

今まで見えなかった大切なものが見えてきたりします。

大切だと思うものを大切にできたら最高に幸せです。

今までしてきた選択が、

不安や恐れや恐怖からくるものだったなら

これからは、愛や光や調和を意識して選択されることをおすすめします。

私たち人間は意識しないと思考はネガティブに傾くそうです。

思考がネガティブに傾いているなぁと気づいたら、

意識してネガティブ思考を手放して

心を穏やかに保つ思考に切り替えてみてください。

心の状態と同じような現象を引き寄せるようなので、

暗いことを考えて心を重くせずに

明るいことを考えて心を軽くしておくと良いようです。

執着からの解放

私たちは、

縛られているわけではなく捕らわれているわけでもないのに

実は自らが何かをつかんで放そうとしていないということがあったりします。

それがゆえにまるで捕らわれているように思えるのではないかということ。

放しさえすればよいのです。

放せば私たちは自由になれる。

その執着から放たれることができるのです。

執着から逃れるには、手を放しさえすればよいのです。

とくに努力は必要ありません

努力してつかんでいるその手を放しさえすればよいのです。

手放すことが先。

何かを手に入れようとするよりも、

手放したことで見えてくる世界にこそ豊かさがあるのではないでしょうか。

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