那須町でヨガの魅力をお伝えしているラリュールのMayumiです。
今日のブログも長くなりそうなので、笑笑
お時間がある時にぜひ読んでみてください♡
みんな違ってみんないい
という有名な言葉。
これに尽きるなぁ~とつくづく実感しています。
特にこれを実感したのはカナダにあるバンクーバーでの海外生活。
4年ほど前…
私は13年間働いた会社を辞めた直後、
カナダのバンクーバーに語学留学をしました。
退職した1週間後にはバンクーバーに居たので
我ながら「思い立ったが吉日」的な行動力はあっぱれです。笑
苦しみの原因
実はこの頃、
目に見えない常識や固定観念というものに支配されて苦しんでいました。
世間一般の考える『普通は』という言葉の意味が
どうしても理解できなくて、
そんな私はおかしいんじゃないか?
と思っていました。
色々なことに対する基準のようなものの差やズレを感じては、
やっぱり私が間違っているんだなぁと思っていました。
私はダメな人間だ、
私には何も出来ることはない、
私は能力がない、
私は必要のない人間だ、
なんて…
めちゃくちゃネガティブですね!!!
読んでいて嫌な気持ちになったらごめんなさい💦笑
まあ、そんな感じで
自分自身を信頼することも赦すこともできなくなってしまった結果、
生きることに疲れてしまっていたのです。
違うことが当たり前だという気付き
私が半年間生活したカナダは、
元々の先住民とイギリス、フランスからの移民によって国家を形成。
1971年、民族や人種の多様性を尊重し全ての人が平等に社会参加できるような
国づくりを目指す「多文化主義政策」を世界で初めて導入した
『多民族国家』でもあります。
だからなのか、
住んでいる人がみんな優しくておおらかで親切で。
私は全くと言っていいほど嫌な思いをしませんでした。
もちろん私が感じたことが全てではありませんが、
互いの民族や文化や歴史を認め合い
平和に暮らしているという印象でした。
学校でも街でも多種多様な民族、文化に触れられます。
特に食文化。
私はギリシャやメキシコ料理にはまりました!!
【日本の常識は世界の非常識】
という言葉があるように、
世界には沢山の考え方があります。
文化や宗教の違いによって食事や生活スタイルなど、
生き方そのものに違いがあります。
そこで私は気付くのです。
自分と自分以外の人との間にある違いを、
頑張ったり我慢したりして無理やり合わせようと努力する必要はないのだと。
違いを無くしていこうとする必要などなかったのだと。
愛を持って互いの違いを認め合うことが大切なのだと
私はバンクーバーで出会った全ての人から学びました。
半年間という短い間の海外生活でしたが、
民族の違いだけでなく
人間一人ひとりが持つ文化や歴史、
その違いを理解し柔軟に受け入れるという
平和的思考を身につけることができるようになりました。
視点を変える
物事を捉えたり考えたりするときに大切なのは、
色々な角度から視点を変えて見てみるということだと思います。
ある一面からしか見たり捉えたりできないと、
それが苦しみの種になることが多いように思います。
私の場合それが、
常識や固定観念という方向からの一方的な物の見方だったのだと思います。
【常識というのは宇宙の法則でもなければ、究極の心理でもない】
常識とは人間がつくり上げたものであり、
固定観念とは大衆がそう思い信じこむことによって
それが世界中に広まっていったもの。
つながり合う世界
最近読んでいる本に書いてあったことで、
なんだか妙にしっくりくる言葉でした。
意識を変える
この本のことをもう少し共有させてください。
もう既に物質を充分に持てる人は、
今以上の物質を欲することなく
他の人々が共に生きられるような生き方へと意識変革するべきです。
高いレベルの意識でそれ以上求めることを自ら規制してゆくならば、
他の人々もそれ以上何を争い死に物狂いになって有限なる物質を
かき集める必要があるだろうかと気づいてゆくのであります。
つながり合う世界
ヨガの八支則におけるニヤマのなかの一つ、
サントーシャ(知足)の精神と共通します。
無いものを欲する代わりに
今あるものに目を向けて感謝し、
自分という軸に穏やかにとどまり続ける。
「探し求めない」ことで、私たちを
「知足」へと導いてくれます。
そして、
【変化するものに支配されている限りはずっと不安定なままである】
というヨガの教えにも繋がります。
心や思考は常に変化するもの。
まして、
自分の外側の世界にあるものは特にです。
「自分以外の人の考えや気持ち」
「物質」
「ものごとに対する価値観や基準」など。
だからこそ唯一変化することのない
自分自身の本質=魂=アートマン=真我=プルシャ=本当の私という存在
を知り、繋がることで
悩み苦しみから本当の意味で解放されるよ~!と
ヨガは教えてくれるのです。
「見る者」と「見られる者」
ヨガではこの2つに自分を分けるという考えがあります。
このまま書き続けると長くなりそうなので…
今日はこの辺で終わりにして、
「見る者」と「見られる者」について次回に続きます♡